砲台入口から内部へと進入します。「日本築城史」の配置図のみが頼りという情けなさ。

いつものつもりで砲座に向かうと円盤型の砲座の代わりに、コンクリ製の砲座井が開いています。

戦後の金辺景気の際に、内部のボルトを破砕して抜いたのでしょう、歪なギザギザを伴った円周となっています。ちょうど豊予要塞、佐田岬第二砲台の30糎短榴弾砲のそれと、破砕のされ方までよく似ています。廃止後高射砲台として再利用されたのか、30糎榴弾砲に換装されたのか等と、正確な情報を持たない悲しさ、つまらぬ妄想ばかり駆け巡ります。

ダメもとで大砲の大家「日本の大砲」の著者、佐山二郎氏にお伺いを立ててみました。恐れ多くも数日後に佐山氏より返信のメールとクルップ式28糎榴弾砲の側面図を頂きました。

葦谷砲台の28糎榴弾砲はよく知られている国産28糎榴弾砲と違い、日清戦争時に威海衛、劉公島砲台で鹵獲されたものであり、大きな特徴は隠顕式榴弾砲であったとのことです。

葦谷砲台

平成22年5月1日からの連休を利用、船中拍をして舞鶴まで走ってきました。今回は葦谷砲台と金崎砲台が目当てです。
舞鶴要塞についてHPを載せられている方に連絡しましたところ、地図や気をつける点を教えていただきました。感謝です。

松山発のダイヤモンドフェリーで大阪へ。当時口蹄疫の流行により、予防対策として連絡橋のところに消毒剤を設置し、防毒衣類をつけた係員が誘導していました。翌朝無事に大阪着。今回は高速の渋滞を避け、5号湾岸線住吉浜で降りて下道を走り、六甲道路・六甲北道路、神戸三田ICで高速に合流、後は舞鶴若狭自動車道を快走するのみです。

前回は初めから律義に高速に乗ったため、宝塚IC当たりで大渋滞に捕まってエライ思いをしました。前回が嘘のように淡々と快走し、西紀SAのうどんで朝食後スンナリ舞鶴到着。GPSも大きな誤案内もなく舞鶴発電所へ。

ここからは事前に教えて頂いていた未舗装の登山道を恐る恐る登っていくことに。地面が緩く後輪スリップの連続、枯葉はエンジンに張り付いてお線香状態。ツーリングバイクでは些か堪えましたが、何とか砲台入口の登山者用に一部改修されたトイレ遺構前の広場に到着です。

鹵獲したクルップ式隠顕28糎榴弾砲を葦谷砲台に据え付ける際に固定式に改造が施されたとのことです。

ですので隠顕式の名残で砲座井が掘られていることが判明しました。

佐山様から側面図の掲載をご許可頂いていますので右に載せておきます。固定式に改造されたが依然として砲座井部分を必要としていることが分かります。