門司、古城山砲台・堡塁

7月28日も晴天というより真夏日です。午前中にJR九州の鉄道博物館を訪ね、午後から門司の布刈公園にある古城山砲台・堡塁を、これまたチラッとのぞいてきました。

古城山砲台には臼砲が据わっていたようですが、今では国民宿舎と公園・駐車場と化して跡形もありません。見落としてしまったのですが「戦捜録」のホームページには、砲台跡の記念石柱がわざわざ植え込みの方を向いて建てられていることが記されています。個人的にはどうも腑に落ちません。

関門海峡側には古城山堡塁がありました。上り口のすぐのところに、教育委員会の門司城跡についての説明板があり、由来について丁寧に解説されておりましたが、一行たりとも堡塁についての記述はありませんでした。古城山砲台跡の継子扱いされた石柱と同様の理由なんでしょう、きっと!

それでも遺構が残っているだけでもめっけものかも知れません。

地域によって、純粋に近代化遺産と捉え保存の方向で動くか、できれば知られたくない、手を触れたくないものとして荒れるに任せるか、対応は様々ですが、今回の探検ごっこは深く考えさせられるものがありました。

下関の金毘羅山堡塁砲台などは歴史的価値も高い近代化遺産だったのですが、いつのまにかアッサリと埋め立てられ、ごくありふれた公園と化していることを、高名な城塞研究家がその著書の巻末で嘆かれていたのを思い出します。

帰りは淡々と関門海峡大橋を渡り山陽道、しまなみ海道を走って日のあるうちに帰宅しました。F800ST、快調で疲れも少なかった旅でした。

(観測所)

(観測所への階段)

(交通壕、戦時には機関砲を設置したとのこと)

(立派な石碑と放置プレイの観測所跡)

(観測所より火の山砲台後を望む)

(堡塁砲側庫と交通壕)