砲台の先には猿岩と呼ばれる奇岩がありました。
郷ノ浦港から30分ほどで入口に付きます。イラストレーターの長岡秀星氏が配置図を描いています。軍縮
時代に余った戦艦の主砲を砲塔ごと転換することにより、各地に要塞を建造しています。ここの砲は巡洋
戦艦赤城(航空母艦に改装)に搭載予定の、45口径40糎カノン砲2連装1基を転用しています。同様の砲
塔砲台で30糎カノン砲が、大分県佐伯港外の丹賀女郎崎に設置されていました。30糎と40糎ではわず
か10cmの差ですが、砲塔井の大きさは30糎砲塔より一回り大きく取ってあります。砲塔基部から砲塔井
底部までの深さは余り変わりがないように思えました。一般人が読むことのできた「日本築城史」には、
断崖絶壁陸の孤島に砲を持ち上げることは身の毛のよだつことだと書いてありましたが、破壊された砲
塔井の規模から想像するにつれ、国防の意図を持って計画的に敢行されたとはいえ、大変な難工事だっ
たと想像できます。
(クリックすると拡大します)
浄法寺麻美著「日本築城史」より転載
12年8月7日に家族旅行で壱岐へ行きました。当然お目当ては黒崎の砲塔砲台跡。ところが家族はこういうのには全く興味なし。
せっかく行ったのだからじっくり見たかったのですが団体旅行並み。退職したら改めてここ黒崎砲台と、対馬に残る砲台群をのぞ
きに行こうと思っています。
呼子から壱岐郷ノ浦港まで約2時間の船旅です。注意 現在(H26.07月)はフェリー乗り場が呼子から唐津東港に変更になっています。
(砲台入口)
底部を破壊された砲塔井、
ポイントすると終戦直後の砲台に移動します。