金崎砲台

(槇山軍道の途中から分岐、崖崩れは要注意)

前回訪れた槇山砲台への途中から分岐して、軍道跡は岬の突端金崎砲台に向けて続いています。

広場のある部分が分岐点で、金崎砲台について事前に教えて頂いた目印となる倒木を見つけ、バイクを止めて進んでいきます。話によると一カ所危険な場所があるとのことでしたが、ほぼ等高線沿いに軍道は岬を目指すため歩きやすい道でした。

ところが三分の二を過ぎたあたりで軍道が完全に崩落していて、僅かに踏み代があるのみで捉まる木立も数本しかありません。ただ踏み代には靴底の跡が見られたので、そう遠くない時期に誰かが渡ったことを意味しています。慎重に靴底の跡に自分の足を合わせるように歩を進めると、ちょうど掴めるところにウバメガシがあります。慎重に渡りきることができましたが、もしか滑落したら崖下まで滑り落ちる恐怖を帰りにもう一度
味わわねばならないことを思うと気が重くなります。

それでも間もなく砲台の門柱が見えてくると気分が高揚していること・・、現金なものです。

後日、同好の士が探索した折には、案内用のロープが架けてあったとのことで、地元の方が応急整備されたのだと推測します。

(地下砲側庫と前進軸12糎カノン砲座)

(耐火レンガの破片、21糎カノン砲座、司令塔、観測所、地下砲側庫等)

金崎砲台の備砲はクルップ式中心軸21糎カノン4門、クルップ式前進軸15糎カノン2門2砲座です。どうやらここも鹵獲砲を再転用したのではないかと推測されます。

門柱を入ると15糎カノン砲座があり、それを行き過ぎると21糎カノン砲座が1門1砲座で4門一列に並んでいます。

地下砲側庫があり、砲座北側には観測所・指揮所が並んで設置されています。地下掩蔽部には、以前探索に来られた方が見つけて置かれたと思う耐火レンガの破片が置いてありました。

掩蔽部を過ぎて最深部に12糎カノン砲2門が設置されていました。

21糎カノン砲座には砲座基部にあたる場所が掘られて穴が開いていましたが、盗掘のような雑然とした穴の開け方でしたので、明らかに葦谷砲台の砲座井とは違うと思われます。

最深部の前進軸12糎カノン砲座もレンガの壁が整然と残り、地下砲側庫も健在でした。同様の前進軸砲座は芸予要塞大久野島北部軽砲台のクルップ式12糎カノン、広島湾要塞大君低砲台のクルップ式12糎カノンに見られます。

砲台以前探索に来られた方が見つけたビールとラムネ瓶が整然と並べて置いてありました。手にとって何気なく見ると、大日本・・とロゴがありました。もしかすると戦前、終戦直後に酌み交わしたものかもしれません。