琴平急行電鉄

(川西駅南西に残る橋台)

19年9月8日に、琴平急行電鉄跡の川西駅付近を捜してみました。廃止されてから半世紀以上立っていること、戦時中の早い段階(1944年・昭和19年)

で不要不急路線として休止され、平野部を通っていたこともあり、田畑に転換されたところがほとんどで痕跡を探すことが難しい。正式には琴参電鉄合併

後、1954年・昭和29年廃止となっている。何回か線路跡と思われる地点(土讃線のアンダークロス部分、金庫川の橋脚基礎、高篠駅のホーム跡(整地さ

れ分譲住宅に)、郡家近辺の生活道路等)を徘徊し、画像に収めたのだが散逸してしまい、見つけたら改めて更新する予定です。

川西駅のホーム跡は、自動車を運転中に偶然見つけたもので、どうもそれらしいと当たりをつけて旧版地図や資料を調べると、まさしく琴急の痕跡でし

た。田畑の中にポツンと島式ホームの一部だけが残っています。今回訪れた時には前回よりホームが削られてしまい跡形がなくなる寸前になっていま

す。また、近辺にあった橋台跡がわずかに線路があった証拠として残っていますが、路盤を見つけることはなかなか困難です。

「ピーマンの秘密基地」さんとこから約1Km南下したところには、画像

の飯野駅跡があり、現在は苗木センターとなっていますが、当時は交

換設備と変電所・車庫があった模様です

この時は、「ピーマンの秘密基地」さんとこへ、R1100Rにダブルホー

ンを取り付けに行ったついでに写したものです。「ピーマン」さんとこ

の近くを琴急は走っていたようです。

唯一生活道路として残っている郡家近辺の道路は、途中で切れて横道と合流

しますが、反対側には橋台跡が残っています。耕作されその後の路盤の痕跡

はまったくとどめません。

高松方面から琴平に通じる鉄道は、琴平宮から駅が遠い順に国鉄(現JR)、琴電(琴平電気鉄道)、

琴急(琴平急行電鉄)、琴参(琴平参宮電鉄)と4社が競合する激戦地だったようです。戦前には各鉄道

共通連絡切符が発売されたようです。

今では琴平宮から遠い2社(JR、琴電)しか残っておらず、利便性の良いはずの琴急と琴参が廃止に

なっているのは皮肉といえば皮肉ですね。

なお、琴参琴平駅は、国鉄(旧讃岐鉄道)が高知方面に路線を延長する際、路線変更をし、琴平駅を

現在地に移転しました。その廃止した路盤と敷地を利用して建設されたとのことです。

(郡家付近の生活道路に転じた路盤と橋台跡)

(高篠駅付近に残る唯一の路盤跡)

(川西駅の側溝を渡る橋台跡)

(以前より削られてわずかに残るホーム跡)