(軍用波止場から紀伊水道方面を望む)

道を挟んだ反対側には兵舎跡と思われる場所の横に、便所の遺構がありました。どの要塞にも似たような便所の造りですが、便槽の数は他より多く作られています。

砲座側の藪の隙間からは、破壊され尽くした砲側庫が並んでいます。その一画に屋根は抜け落ちていますが、弾薬支庫のレンガ建屋がありました。また、当日は曇天の上風が強く波止場には波が打ち上げていました。

この後、破壊されて観光地化されている柿ヶ原堡塁砲台跡と門崎砲台跡地に向かうことにします。

柿ヶ原堡塁砲台は大鳴門記念館と言う観光施設に変わり果てています。記念館を造る際に砲台の一部を保存する話もあったようですが、見事なまでに消失しています。

門崎砲台も昭和30年代までは、穹窖(きゅうこう)砲台遺構を残したままの景勝地になっていたようですが、埋め戻して観光施設が建設されています。

次ページで柿ヶ原堡塁砲台と門崎砲台跡を簡単に紹介します。

(弾薬支庫跡 弾薬本庫跡は波止場近くにある)

(弾薬庫入口のR1100R)

(兵舎跡横の便所跡)