豊予要塞司令官官舎
H26.4.28に、横殴りの大雨の中、佐賀関中学校近辺に僅かに点在する豊予要塞司令部他遺構を大急ぎで眺めてきました。
司令部の建物等は佐賀関中学校や運動場に転用され跡形もありません。僅かに司令部正門門柱の片方と、山の手の住宅地に残る司令官官舎が往時を偲ばせているのみでした。
なお、佐賀関中学校前の細道は「佐賀関鉄道」の路盤跡です。
門柱の片方は運動場通用門として密かに残っていました。
(佐賀関中学校通用門に残る正門門柱跡)
(司令長官官舎下に残る副官・参謀官舎の塀)
中学校の西側山手、静かな住宅街の小路を登っていくと、壁沿いに国有地の看板がある朽ちかけた屋敷に到着します。
(まさに「となりのトトロ」に出てくる屋敷とオーバーラップします)
ここは、和洋折衷の大正ロマン時代時代の建物らしく瀟洒に仕上げられていました。少し前までは洋館横に連なる木造家屋には住人が住んでいたようですが、今は洋館ともに無住のようです。
貴重な近代化遺産とは思いますが、その由来が保存改修に二の足を踏ませているのかもしれませんね。個人的には補修・展示して頂けたらと思いますが・・。(いろいろな民主的反戦平和団体がおられますから公金からの補助は難しいでしょうね・・
(洋風の正面、裏に回ると実際に使用できる暖炉とその煙突がある。木造家屋は私邸として使われていたのであろう。)
司令官官舎の手前の道端には向い壁のあるコンクリート壁が続いていました。
不確定ですが、ここには副官官舎と参謀官舎があったようです。敷地は整地され一般民家が建っていました。
時間がまだ十分ありましたので、次ページでは、大雨の中「志生木弾薬庫」を探しに行きました。