成ケ島砲台群(高崎砲台)
H25.1.14に、地元研究家のY.S氏の案内で豪雨の中、トッポ作と善次郎の休日さんと三人で成ケ島探検ごっこに行きました。
由良漁港からはY.S氏の計らいで釣り船で渡り、成ケ島桟橋からは事前に借りていた軽トラで高崎砲台の近くまで行きました。豪雨と暴風の中でしたので軽トラは助かりました。
この高崎砲台は、もともと文久元年(1861)に徳島藩によって築かれた高崎台場を改築再利用したもののようで、入口には石垣が残っていました。
明治35年に、安式35口径24糎カノン2門と克式25口径24糎カノン6門が備砲され、新砲台として竣工したようです。
特筆すべきは、安式35口径24糎カノンは隠顕(いんけん)砲台で、普段は砲座の下部、敵艦からは見えない場所にあり弾薬を装填後は、ニョキッと砲身だけを出して敵艦に向けて発砲する仕掛けになっていたことです。
この砲は日清戦争の際、威海衛劉公島砲台から鹵獲した戦利品を据え付けたとのことです。
また左翼の克式25口径24糎カノン6門は、砲の旋回中心が前側に来る、前心軸24糎カノンであったようです。
(高崎砲台平面図 角田誠氏作図)