交通手段はいつもの通りバイクツーリング。駐車場にバイクを止めて灯台への小道を目指します。

昔は小道に軽軌道が敷かれて物資等の運搬をしていたように聞いておりますが、勾配のきつさを考えると確証はありません。

小道を入るとすぐに左手に石積みの数段の階段があり、そこから上は急斜面を尾根に向けて登ると、すぐに第一観測所に出ます。未だに薄く迷彩塗装が残っており、海に向かっての監視窓には鉄枠が残っています。

戦後不幸な事故(自殺)があったようで、心無い連中が心霊スポットとか大袈裟に騒いでいますが無視無視。

観測所の横には、かまどがあるが、後年作られたような気がします。 

観測所の中は荒れるにまかせ、戦後の金辺景気の際に、欲に目がくらんだ連中が測距器を設置した円柱を破砕している、御苦労さま。

観測所から降り、小道を行くとそれらしい石積みの短い階段が何箇所か石垣に張りつき、尾根を目指して藪と倒木の中にわずかに痕跡を残しています。

「日本築城史」では、第一砲台敷地に第一・第二砲台があったように記載されていますが、どうやらこれは誤記の可能性が高いです。

学研「日本の要塞」によると、対馬大平高砲台の斯加式12糎速射カノン砲4門を移設したことになっていますが、同誌120p「要塞砲カタログ」では七年式15糎カノン砲備砲となっています。

第一砲台の構内は東西に長く、弾薬井も離れ離れに4カ所確認されています。備砲は、斯加式から七年式に換装されたと考えるのが妥当だと思いますが、「築城史」の記述のように斯加式が第一砲台、七年式が第二砲台の計8門あった可能性もほんの僅かだがあるかもしれない。

後日の資料調査で、上記の推測は間違いと判明しました。

(斯加式12糎速射カノン砲 佐山二郎共著「日本の大砲」)より

佐田岬第一砲台

愛媛県最西端、佐田岬灯台下に穹窖(洞窟)砲台がありますが、それ以前の大正期に15糎カノン砲4門の第一砲台と、やや離れた正野(しょうの)部落下の崖下に30糎短榴弾砲4門の第二砲台がありました。

20数年前、勤務の関係で南予に住んでいたころから何回か灯台と穹窖砲台は見下ろしたことはありますが、駐車場から灯台にかけての小道脇の尾根に向けて不自然な階段が数か所にあり、何やら匂うとは思いながら観光客が多いので踏み込むのを遠慮していました。

ある時、平成11年8月15日〜朝日新聞による「眠る砲台跡」の特集が組まれたことにより、灯台下の穹窖砲台以外に豊予要塞佐田岬第一・第二砲台、関連施設が放置されていることを知りました。早速出かけたのは言うまでもありません。

(第一観測所)