丹賀砲塔砲台跡

昭和16年12月に準戦備下令が出され、丹賀には第一中

隊が配備されたとのことです。昭和17年(1942年)1月、実

弾射撃試射の際、腔発事故(砲身の中で弾丸が破裂する

こと)により、連隊長以下16名が死亡し、砲台自体も使用

不能となり、そのまま終戦を迎えることになったとのことです。

砲台は戦後の徹底的な破壊を免れ、公園化され地元の

人たちが運営に当たっているようです。トッポ作が訪れた

時は近くの作業場の人が対応に出てくれ、料金(300円?)

を払いパンフレットをもらって、揚弾斜坑に設置されたリフ

トに乗って砲台内部に向かいます。内部は整備され説明

板も多く、後は思いつくままシャッターを切りました。

H26現在はリフト修理中との情報があるのでご注意ください。(しんどいけれど歩いて登れます。)

砲塔井のコンクリートが一部剥がれていますが、これは戦後のGHQ

の爆破処理ではなく、暴発事故の際に破損したものだそうです。

ちなみに起工は大正13年(1920年)、昭和4年(1929年)には要塞自体は竣工しています。

リフトに乗って砲塔下部と砲塔井の中に入りました。き

れいに整備されていましたが、畜力機室等には当時の

塗装が色あせながらも残っていました。中腹の砲台入

口への通路には砲台・要塞関係の説明板が掲示され

ていました。次ページでは砲塔井にある階段を登って

砲塔のあった所に行きます。

鶴見崎の砲台施設をのぞいた後、

海岸線沿いに佐伯市へ向けてバッ

クします。しばらく進むと、半島の尾

根にプラネタリウムのような半球形

のドームが見えてきます。これこそ

悲運の丹賀砲塔砲台です。

軍縮で廃艦・建造中止になった戦

艦の砲塔を要塞に転換する方針に

沿って、ここにも巡洋戦艦「伊吹」

の45口径2連装30糎カノン砲塔が

昭和8年に備砲装着されたとのことです。