灯台の手前、正野部落から海岸へ向かって降りて行きます。途中兵舎を改築したような民家を通り過ぎ、左手に道をとります。

ここから先は、昔訪れたとき以上に荒れ放題、倒木・木々の繁茂・藪こぎなんでもござれ。それでもほとんど等高線レベルの軍道ですから幾分歩きやすいかったです。

30糎短榴弾砲4門を備え、竣工が昭和2年、航空機の発達・海軍力の増強等により昭和9年には撤去され中国大陸へ移送されたら
しいです。一時期、第一砲台も含め廃止された期間が存在していたようです。

10年以上前、「吾助のHP」の主宰者が刈り払いを行い、随分見やすくなっていましたがその後は荒れるにまかせたままになっています。砲側庫には今でも現職の迷彩塗装が残っています。砲座井は3基が農業灌漑用水用の貯水池として使用されていましたが、今は使われず、泥池の状態が不気味です。1基だけ砲座井が空であるので当時の状態がある程度想像できます。戦後の金辺景気のため、砲座井に埋め込まれていたアンカーボルトを破砕して引き抜いたのでしょう、砲座井の円周状に半円形のポルト跡が残っています。似たような砲座井の形状には、舞鶴要塞葦谷砲台のクルップ式28糎榴弾砲砲座井があります。

砲座から先へ進むと弾薬庫等の跡地が草藪の中に広がっていましたが、今では全く判読不能状態です。

元の小道に戻り海を目指すと、パイルを突き刺した桟橋に出くわします。榴弾砲等の資材を搬入するために作られたようで、地元では軍艦波止と呼ばれています。

正野部落の尾根、大滝に第二砲台用の観測所が残っています。今は農家の方のミカン燥庫になっています

(第二砲台観測所、農家の倉庫として顕在)

(30糎短榴弾砲移動砲床平面図、佐山二郎氏著 「日本の大砲」より)

(吾助のHPより転載)

(軍艦波止 H25.04.13撮影)

(第二砲台砲座井・砲側庫 H25.04.13撮影)

佐田岬第二砲台