佐田岬穹窖(きゅうこう)砲台
佐田岬灯台下と御籠島に終戦前に穹窖砲台が作られました。以前は、荒れるに任せて放置状態でしたが、平成29年に地元行政が御籠島の遺構を観光地として整備しました。

おまけに、2門あった砲座のうち、1門にレプリカの榴弾砲を設置するとともに、砲座までの洞窟通路も整備して説明板も設置しています。

(御籠島の2門の砲台)

佐田岬には、もともと豊予要塞佐田岬第一・第二砲台が大正期に築城されました。
しかし、両砲台とも航空機の時代に合わなくなり、第二、第一の順に廃止されてしまいます。

しばらく、砲台として空白の時期があったようですが、太平洋戦争が終わりに近く、本土決戦が現実味を帯びるようになると
敵潜水艦の瀬戸内海侵入への防御として、灯台下とすぐ前にある御籠島にそれぞれ2門ずつ、計4門の穹窖(洞窟)砲台を
造営することになったようです。

もともとの砲台入り口は、御籠島の北東部の山の斜面にあったようです。
新たに設置された洞窟入り口は、安全面等を考慮して別の場所に造ったようです。内部はコンクリートと鉄板で補強され、
照明器具と案内板、説明板が設置されていて大変好ましい状態です。
(洞窟入口から穹窖砲座まで)

(御籠島前景と穹窖入口)