砲台から西部の小高い山が唐人神と呼ばれていて、今では展望台が設置されていますが、展望台建設の折に現地を整備したところ、観測所の遺構が確認されました。

現在では展望デッキの後ろ側に、観測所遺構として立ち入れるようになっています。

丹賀砲塔砲台の観測所と比較して、規模の大きさに驚かされました。

測距機の座っていた部屋は、金属景気の折に窓枠等を無理に引き剥がそうとしたようで、天井部分が崩落した上に、鉄筋を取り出すために粉々に破砕してしまったようで、当時の様子を想像することができません。コンクリートにこびり付いている黒いものは、防湿用のコールタールの残骸のようです。

黒崎砲台には他に2ヶ所観測所があったとのことです。

この後、日本築城史の怪しげな略図を頼りに、弾薬庫を探したのですが、それらしい所は矢竹が猛烈に繁茂していて、とてもじゃないが進入することができず、素直に諦めました。

本土決戦時には、壱岐島にも陸軍の砲台のほかに、海軍の砲台も数カ所設置されたようです。

要塞内・唐人神観測所

砲台内部は戦後の金属景気の折に破壊されたようで、鉄筋を引き剥がした跡が至る所に見られて痛ましい限りです。

砲塔井部分の支柱も、各計器室・動力室等の隔壁もすべて削り取られていて、地震等の折の耐久性が心配です。

佐伯港外にある丹賀砲塔砲台が、原形をよく保っていることと比較すると些か残念です。

左の画像は砲台入口から砲台内部を経てもう一方の入口までを並べています。

唐人神展望所の裏に現存する観測所跡