榴弾砲座から階段を上り胸墻の上に出ます。右翼の端部に観測所跡が残っています。
不思議なことに明治期の要塞観測所お約束の武式(ブラッチャリーニ式)測遠機を設置するための円柱状の基台が見当たりません。武式以外の測遠機を設置したとしても、それを置くための基台は必要ですから。金属景気の時期に盗人が、ご丁寧に根元から引き剥がしたのでしょうか?

観測所の横には指揮所がありました。資料では、左翼にも観測所があったとのことですが、全く形状が変わっていて判明しませんでした。

砲台進入路から分岐を右に取ると、右翼観測所を経て15糎臼砲の砲座に辿り着きます。

臼砲砲座のほか、横墻に地下掩蔽庫や浄水施設がありました。

(休暇村・加太本館と僅かに残る地下掩蔽庫)

深山第二砲台

深山第二砲台は、第一砲台の南方350m350mにあり、備砲も第一砲台と同一だったとのことです。

現在は「休暇村・紀州加太」が建っていて、砲台の遺構はほとんど消滅しています。榴弾砲砲座が並んでいた位置に休暇村本館が建っているようです。
僅かに敷地の北東隅に地下式掩蔽部が残っています。

この砲台は、要塞整理により廃止になった後、演習砲台として再利用されたとのことです。

(榴弾砲砲座から横墻の地下掩蔽庫を経て胸墻から俯瞰する)

(右翼観測所、指揮所を経て15糎臼砲砲座と地下掩蔽庫、

浄水施設)