匂崎演習砲台

要塞は、一般的に岬や山の高所等、交通不便な場所にあり、要塞本体で訓練をしていると秘匿性が薄れてしまうため、連隊から近い場所に演習用砲台他附属諸施設を設けていたようです。

舞鶴要塞には匂崎に演習用砲台を設置し、近隣の下安久弾薬本庫の近くの小山に補助観測所を設けていたようです。

演習砲台の竣工ははっきりわかりませんが、少なくとも明治30年前半には築造されていたようです。

砲台敷地南部には28糎榴弾砲4門を一直線に配置し、北部には21糎カノン砲2門を設置していたようです。

カノン砲座背後の標高57m地点には、それぞれの観測所が別個に設置されていたようです。補助観測所には応式測距器設置のための3本の石柱が立っていましたので、これらの観測所も同様の応式測距器観測所だったのではないかと推測します。

付属施設としては、観測所のほかに砲側庫、砲具庫、厠等があったようですが、いずれも公園化の際に完全に撤去され、砲台遺構は消滅してしまっています。グラウンドに整地された28糎榴弾砲座横の砲具庫跡の崖部分に、煉瓦の基礎部分の遺構がわずかに残るだけとなっています。

なお匂崎公園からは、舞鶴西港を挟んだ対岸北側には建部山堡塁が「丹後富士」として美しい姿を見せています。

 

(砲具庫跡を経て21糎カノン砲座、観測所展望台から
補助観測所の小山を見る。)

(匂崎から槇山を見る)

(匂崎から建部山を見る)

(28糎榴弾砲砲座跡の広場と斜面に残る基礎)

(角田誠氏 作図)