生石山砲台群の中でこの堡塁だけが赤松山・伊張山堡塁と連携して陸正面を守る堡塁であったとのこと。第一〜第四砲台の竣工よりは遅れての竣工となった。

城郭研究家のTS氏の論文によると、公園化による変化が著しいが、もともと戦時に臼砲や機関銃 (4門)を据え付けるものであったため、その構造も簡単なものであったと思われる。

この堡塁には明確に塹壕が見られる点が他の砲台と異なっている点でもあるとのことです。

由良要塞生石堡塁

21年8月3日に、由良要塞生石砲台群を探してきました。近年環境省が公園化を試みているようで、前回来た時よりも整備されつつありました。

まず手始めに駐車場も兼ねている生石堡塁から廻ってみます。生石堡塁は明治27年竣工の赤松山・伊張山堡塁に続き、明治30年に15糎臼砲4門を戦時に据え付ける予定で竣工したとのことです。

堡塁は整備され一部は新しく作られた部分もあり公園化されていますが、塹壕のレンガ等は昔のまの状態だと推測されます。

砲身の一部が展示されていますが、一説によると第三砲台の24糎カノン砲の砲身とも言われています。メジャーで口径を計っておけば良かったと後悔しきり。