男良谷砲台・水雷砲台(海軍)

H30年12月21~22日に、行き残していた男良谷砲台と海軍の水雷砲台跡の探検ごっこに行ってきました。

日帰りでも行けなくはないのですが、体力が持ちませんので、21日午後和歌山着加太泊としました。

22日はあいにくの雨模様でしたが、これを逃すといつ行けるかわからない状態なので、雨具を着用しての探検ごっこです。
天候不順で心配なため、京阪神在住の友人M,F氏に当日同行してもらいました。

駐車場からダラダラ坂(軍道を利用した未舗装遊歩道)を約200m程下ると、砲台にすんなりと到着します。

軍道終点右側には、海軍の施設(兵舎等)があったようですが、木々の繁茂に阻まれて何が何やら。軍道斜面下にそれらしい平場と推測される空間がありました。

終点左側には、屋根が抜けた背の低い煉瓦造りの建物跡がありました。故角田誠氏の作図からは「W」の印があり、貯水槽跡と推測でき(貯水槽部分は埋まってしまっている。)、海軍の発電所(石炭火力)で使用する水のための貯水槽だと思われます。

男良谷砲台は、深山第二砲台(現 休暇村紀州加太)から、西方300mの地点にあり、海岸沿いの標高6mの地点にあります。
備砲は、基筒式の斯加式12cm速射カノン砲4門が2門セットで配備されていました。

この砲台は、明治37(1904年)年竣工しました。本来の任務は、地の瀬戸海峡を通過する敵艦を射撃して妨害することが目的であったようですが、後述する海軍の水雷砲台(魚雷発射場・明治38年竣工)が砲台に隣接して設置されたため、海峡を通過する敵艦戦の通行妨害に加えて、海軍水雷砲台の防御も加わったようです。

海軍水雷砲台の防御が加わったため、予定されていた24糎カノン砲4門から速射性のある斯加式12cm速射カノン砲4門に変更になったようです。

建屋の崩壊した海軍火力発電所用水槽跡 地図上のWの位置

砲台左翼砲座 画面左奥に魚雷運搬トンネル 背後に火力発電所跡

(故 角田誠氏 作図)