地元の行政が保存に前向きに取り組んでいたようで(市町村大合

併後については分かりません)、兵舎・井戸・貯蔵庫跡等を巡る散

策路が作られていました。

丹賀の砲塔砲台事故の跡、ここが第一砲台、山の頂上にある観

測所下に第二砲台(38式12糎榴弾砲)が作られ、高島・佐賀関・佐

田岬の各砲台、海軍の防備衛所と共に豊後水道を守っていたよう

です。

第一砲台を後にして、観測所・第二砲台跡に向かうことにします。

(観測所跡と12糎榴弾砲砲座・関連施設)

鶴見崎砲台付近の構築物

鶴見崎からバックすること約500m、大きな駐車場の傍らか

ら観測所への登り道が始まります。防空壕跡や兵舎跡(便所

か?)を過ぎると間もなく頂上の観測所に出ます。観測所に

定番のコンクリ円柱がありました。測距機を設置する支柱の

はずです。廻りの石垣は後日公園化する際に設置したもの

です。 観測所から海側に下ったところに38式12糎榴弾砲砲

座、砲側小屋と防空壕が4か所ありました。

一説によると、第一砲台の45式15糎カノン砲は、最初この場

所に据えてあったのを、急遽第一砲台を竣工して移動し、そ

の後に12糎榴弾砲を据えたとのこと。また終戦前には、四

国佐田岬に作った穹窖砲台に榴弾砲4門とも移動したとも

言われています。軍事機密であったことと、終戦で文書の焼

却等で資料が乏しいうえに、公文書に記載される間もなく現

地で臨機応変に兵器の移動もあったようで備砲・砲台配置

等、定説はあっても、?が湧いてくるケースもあるようです。

次ページは、悲運の砲塔砲台、丹賀に行ってみることにしま

しょう。