馬川演習砲台・付属施設

以前、野茨の繁茂に手こずって、途中で断念し行き残していた馬川演習砲台、観測所に行ってきました。

相変わらず野茨の繁茂に苦しめられましたが、枝切ばさみを新調して薙ぎ払いながら進みました。

1970年代の航空写真には、耕作地の中に演習砲台井跡と観測所跡がはっきりと残っていました。

馬川兵舎跡(右図参照)から約500m強、高低差もあまりなくダラダラ坂道状態です。

ただ、前述のとおり藪と野茨の繁茂が半端なく、全体の地形が掌握できないのに困りました。

野茨を伐採しながら、陸防の境界石を目印として南下し、三角点139.8mのある平場に演習砲台跡はありました。

砲座井の上に、木々を積み重ねシートを被せていたので状態がつかめず、最初は行き過ぎてしまいました。

この演習砲台は「八八式海岸射撃具砲」が設置されていて、電気的アナログコンピューターを装備する「八八式海岸射撃具」観測所からのデーターを基に、射撃訓練するため施設とのことです。訓練砲としてだけでなく、有事の際には速射砲として実戦対応も可能だったようです。

砲身、閉鎖機、駐退機、小架、遥架等の大部分は三八式野砲をそのまま使用しているとのこと。昭和3年(1928)に仮正式制定されたとのことです。

ちなみに、射撃具砲とセットとなる八八式海岸射撃具を設置した演習用観測所は、ここから約100m南下した場所にありました。

伐採木とカバーに覆われて現状が分からない砲座
わずかに砲座井外周部が一部見える

(佐山二郎著 要塞砲より)

「日本遺産 佐世保市のパンプレットより転載」