H31.3.21に、浦入砲台とすぐ横に隣接していた海軍水雷衛所跡に行ってきました。

両遺構とも、火力発電所建設の際に大きく破壊され、右翼砲座と衛所の一部分がかろうじて残っている状態です。
発電所建設前には、砲台の電燈所や海軍関係の遺構が多く残っていたようで、結構敷地は広範囲にわたっていたようです。

火力発電所に隣接していること等を鑑みて、単独行をしていて不審者に間違えられると困りますので、舞鶴要塞遺構に詳しいE・N氏に案内をお願いしました。

探索コースとしては県道を離れ、発電所のフェンス沿いに、葦谷砲台登山口を過ぎ、海岸近くの終点まで車で進み、そこからは藪漕ぎをします。約200m程尾根伝いに藪漕ぎをすると、斜面に水雷衛所(試験室)跡が埋もれかけて残っています。

浦入砲台


浦入砲台は葦谷砲台の南、約1500mの海岸沿いの標高約30mにあります。昔は入り江状になっていて軍道が通っていたようですが舞鶴火力発電所建設(平成16年運転開始)のため大規模な埋め立てと斜面掘削をされたため、砲台遺構や海軍水雷補助施設のほとんどが消滅するとともに軍道も消え去ってしまい、監視の厳しい発電所用地に取り込まれてしまっています。

砲台跡に行くためには、葦谷砲台側から尾根伝いに藪漕ぎをして、海軍浦入水雷衛所跡を経由するしか方法はないようです。

海軍(水雷)と陸軍(砲台)が同じ場所を使用する形となったため、側防砲台としては大規模な施設となっていたようです。そのため尾根伝いの各所には、海軍と陸軍の標柱が並んで設置されている場所もありました。

浦入砲台は本邦築城史によると、明治32年に舞鶴要塞群では一番最初に完成した砲台だったとのことです。備砲は、斯加式12cm速射カノン砲を4(2砲座)備え、その任務は湾口に敷設された海軍の(水雷)機雷を守るとともに、敵艦の湾口への侵入を直接照準射撃で阻止するものだったようです。

前述の発電所建設のため、砲台遺構は右翼砲座と砲座間の横墻部が壊れかけた状態と矢竹の繁茂で何が何やらの状態ですが現存していました。
付属施設としては右翼砲座の肩墻に地下式の3連掩蔽部(図B)が設けられていました。肩墻の北側には広場があり、その南寄りには貯水施設が残っていました。
貯水施設背後斜面の石垣の積石は広範囲にわたって剥がされていました。

この広場の北隅から陸海兼用の軍道が下っていたようですが、発電所用地に取り込まれてしまって判明しません。砲台から反対側(東側)を見ると、火力発電所の威容がすぐ目の前に迫ってきています。(多分発電所監視カメラには映っていることと・・)

 


(水槽、井戸、積石を剥がされた壁面)

(現存する右翼砲座)

(3連の地下掩蔽部 図B)

(近代築城研究会 舞鶴要塞Ⅰ 角田誠氏作図)

浦入砲台、海軍浦入水雷衛所