小首堡塁

(克式三十五口径中心軸二十四糎加農砲 佐山二郎著 要塞砲より)

小首堡塁は、明治33年(1900)に完成し、その後の要塞整理計画も免れ、昭和17年(1942)まで存続したとのことです。

備砲は、大砲の大家、佐山二郎氏によると「克式三十五口径中心軸二十四糎加農砲」が4門、「克式三十五口径前心軸十五糎加農砲」が2門配備されていたとのことです。克はクルップのことです。

「克式三十五口径中心軸二十四糎加農砲」は、小首堡塁近くの丸出山堡塁にも4門配備されたようです。

ちなみに、「前進軸」「中心軸」は、砲が旋回する時の中心点の場所を表しています。

(緩い坂道を登り、煉瓦造りの二十四糎砲座胸墻、応式測遠機を設置した観測所台座)

(棲息掩蔽部と十五糎加農砲座の胸墻、その横の指揮所)

次ページでは小首地区砲兵指令所へ行きます。

「日本遺産 佐世保市のパンプレットより転載」

(小首堡塁入口から棲息掩蔽部)

(克式三十五口径前心軸十五糎加農砲 佐山二郎著 要塞砲より)