弾薬庫を経て、先に北部軽砲台・北部砲台等に向かいます。
南部発電所・南部砲台

桟橋に戻り、軍道を改修したセメント舗装の散策路を先に進んでいくと、右手にレンガ製の煙突と建物が見えてきます。

これが南部発電所で、蒸気機関を動力として発電機を回し、南部電燈を照らしたり各施設の照明に当てたと考えられます。ガキのころは屋根がスッポリ抜け落ちていましたが、市制80周年記念事業で、きれいに改修されました。

改修当初は要塞を作った上原勇作元帥他の関連資料を展示していたのですが、保守管理が困難だったようで撤去しています。

発電所跡には小島砲台の顕彰碑も建立されています。この発電所の木製窓枠と鉄格子は当時のものと推定されます。鉄格子が残っているのは佐世保要塞の高後崎砲台の地下砲側庫に錆びて痩せた鉄格子が残っているのみで貴重なものだと思われます。

(南部発電所跡)

(南部砲台跡)

発電所跡から右に通路を行くと民家をすぎて突端に南部砲台があります。ここは須加式12糎速射砲2門を据えました。

来島海峡の反対側を抜けようとする小艦艇撃破が目的であったようです。直接照準だったようで観測所等は付属していません。砲側庫は後から増築の伺いを出していることが学研「日本の要塞」に参考資料として載っています。

ペトンアルメ(コンクリート)を主体として作られています。民家も兵舎・用具庫等の後に建てられたようで裏に回ると石積みの壁が残っています。

「南部砲台・発電所・火薬本庫等配置図、角田誠氏作図」