自然が美しく、住民の方々の優しいもてなしに感動した1日でした。また行きたい!!

弾庫からもと来た道を兵舎跡に向けて引き返します。先ほどの偽装壁のところから右折(北上)しますと、佐世保の弓張岳で見た高角砲台と似たような遺構に出くわします。

大きな砲座井を持ち、基筒式の15cmカノン砲が3基配置されていました。一番右翼は木々の伐採の放置や草木の繁茂で大変わかりにくくなっていましたが、施設図のように3基ありました。

このカノン砲は地元の人の言い伝えによると昭和16年の大東亜戦争開始時には既に据え付けられていたとのことです。旧式のアームストロング砲なのか、戦艦「金剛型・扶桑型」の副砲の余剰品を設置したのかは定かではありません。参考までに周防大島・伊保田にある「陸奥記念館」に屋外展示されている14cm副砲を載せておきます。

砲座の位置と測距器の場所は施設図と大体一致していましたが微妙なずれはあるようです。弾薬庫の竪穴は底で横穴で他の弾薬庫とつながっていたのではないかと推測します。

測距器は全く遮蔽物もなく、そのままで設置されていたのでしょうか疑問が残ります。施設図にある探照灯は藪だらけで皆目見当がつきませんでした。

探索時間はあったのですが、疲れから北部突端にあるはずの兵舎跡や調音所跡はあきらめました。

(戦艦陸奥の14cm副砲 注15cmではない)

(即応弾薬庫と鉄筋を抜き取られた砲座井)

(頂上部、ボルトの残る測距器台座跡)

(地下弾薬庫・穴の底に横穴通路が見える)