鷹ノ巣砲台

観測所への通路

H29.11月24日に、懸案だった広島湾要塞鷹巣高・低砲台へツーリングを兼ねて行ってきました。天気予報では晴れだったのに山陽道に乗った途端に大雨。宮島に渡って高砲台入口の軍道分岐点に辿り着いた時には、小雨になっており何とか探検ごっこができました。

低砲台は、明治30年着工、同33年竣工、高砲台は明治31年着工、同33年竣工とのことで、同時期には芸予要塞他が竣工しています。
明治期の要塞・砲台は備砲(27糎・24糎カノン、28糎榴弾砲等)の共通性もあって、砲台の規模、砲座や関連施設の構造もよく似通っていると思います。

その中で、広島湾要塞の宮島守備地区には鷹ノ巣高砲台内に、能美守備地区には鶴原山砲台に、それぞれ観測所とは別に「地区砲兵指揮所」と言う地区の砲台をまとめて指揮する総合指令所のような施設がありました。

予定では呉守備地区は大空山砲台内に、早瀬守備地区は早瀬第一砲台内に計画されていたようですが、備砲されなかったことも関係するのか未着工のままでした。

また初期計画では「砲兵連隊長指令所」と言う最上級の指令所が、大空山砲台内と鷹ノ巣高砲台内に計画されましたが、現状に合わなかったのかこれらも未着工に終わっているようです。

地域で要塞について研究されているSK氏から計画図(竣工図ではない)に加筆した鷹ノ巣高砲台略図を頂きましたので掲載します。

鷹ノ巣浦への道路からの分岐を高砲台に向けて約20分歩くと、井戸や便所跡がある広場に出る。そこから階段を上ると観測所への登り路が続ます。急坂が続き、おまけに長い階段もあり、倒木が道を塞ぐ場所を乗り越えるので息が上がりました。

階段の途中に円管が見えたのですが、伝声管にしては無理があるので何だろうと?振り返ってみると、階段脇に何かを繋いでいたような支柱の跡が一定間隔で下部まで並んでいるのに気が付きました。

推測ですが、観測所からの情報を砲台に伝えるための電線と、発電所からの電力を観測所機器に送るケーブルとを支柱で繋ぎ、円管内を通して経由していたのではないかと思いました。、

(井戸や厠のある広場から、階段に一定間隔で並んだ基礎(電線等を架ける)を見ながら円管のある階段を過ぎると観測所に到着する。)

(鷹ノ巣高砲台配置略図 SK氏より頂戴する)

(地区砲兵指令所初期予定図 ㊟竣工図ではない)