追補 松山電気軌道

今治市に、松山電気軌道について、よく研究なさっているK.Oさんがおられます。

トッポ作も、折に触れて松電について新しい情報や資料を頂き、詳細についてご教示いただいております。

松電の追補として、K,Oさんからご教示いただいた資料等をもとに、語られることの少ない、松電を少しでも紹介できたらと思います。

六軒屋車庫

古町跨線橋を下ってきた場所に六軒屋車庫と変電所がありました。現在では四電工のビルと駐車場敷地として残っています。

六軒屋車庫は3線式の車庫と列車交換のできる停留所があったようです。

路線はここから三津街道を衣山へ向けて進んでいました。

古町駅近辺

右図、松電路盤が廃線跡として記載されています。松電が伊予鉄に吸収合併されてから、松電は改軌された上、しばらくは並行路線として存続していました。

国鉄(現)JRが松山まで開通したのが昭和2年4月3日で、伊予鉄が松電路線を廃止したのが同年11月2日ですので、西衣山近辺は間違いなく、北から伊予鉄、国鉄、松電の三線並走区間が存在した訳です。

この三線並走区間と松電が国鉄を乗り越す跨線橋のことを、国鉄職員だったトッポ作の祖父から聞いた覚えがあります。

ですので、この図は松電路線が昭和2年11月2日以降に書かれたものであると言えます。

この図の留意点は、松電廃止後、古町跨線橋経由から直接古町駅へ入るように路線変更されていることです。トッポ作の祖母から、この変更路線のことを「萱町線」と教えられた覚えがあります。

(六軒屋車庫と変電所)

衣山交差点からファミリーマート敷地が、松電の衣山停留所であったとのことです。昔は裏手にホームの石垣跡があったとのことですが、今では跡形もありません。

松電の線路は、ここから三津街道を外れて、三津街道と伊予鉄高浜線との間を直進していました。路盤跡は「アテックス第二工場」の敷地に飲み込まれ、その先も畑に還っていて判然としません。

現在は、路盤跡は判然としないまま、国鉄(現JR)乗り越しに向かいます。

(三津街道上からややそれた場所にあった衣山停留所)

(古町近辺の配置図に残る松電跡、松電廃止後、古町駅に路線変更)

(三津地区で宮前川を渡る松電、開通祝賀絵葉書 K.O氏より)