国鉄跨線橋跡~新田学園

鉄道省 昭和二年三月二十七日発行 松山線建設概要11Pに、衣山の3線区間の記載があります。

意訳すると「国鉄三津浜駅を過ぎ、三津浜街道を陸橋で渡ると、すぐに伊予鉄道線路(軽便線)を鉄橋で超え、朝美村に入り、並行して走る軽便線と電車線との間を進み、伊予鉄道電車線の鋼製跨線橋の下をくぐり、右カーブを切って松山駅へ・・」と書かれています。

・伊予鉄道線路(軽便線)は、現在の伊予鉄高浜線です。
・伊予鉄道電車線は、伊予鉄に吸収合併され改軌運転された松電路線です。

昭和50年以前には、国鉄列車の車窓から、コンクリート造りの松電跨線橋橋台跡のような凸部を持った擁壁を見ることができました。現在では擁壁が修理されて、つらいちになってしまっています。







生活道路に隠れた橋台跡



跨線橋跡からは住宅街の生活道路として、伊予鉄西衣山駅方向へ向かいます。途中で暗渠状になっている個所を川面に降りると、コンクリート製道路用橋台に取り込まれる形で、煉瓦造りの橋台が現存していました。(画像参照)

(生活道路と化した暗渠部分に松電時代の橋台が残る)

(国鉄をオーバークロスして、三線並走区間で西衣山方面に向かう)