再訪 模擬堡塁

(木々の伐採で判明した砲側庫等)

(伐採されてほぼ明らかになった壕底)

近代化遺産一覧

22年5月22日(土)午後、高松西芳寺の裏山、石清山(いわせおやま)に残る日露戦争の激戦地、東鶏冠山北堡塁を模した模擬堡塁跡を再訪してきました。

NHK地元番組「四国なぞ解き行脚・春編」で放映されていました。前回行ったときは、どこもかしこも藪と灌木だらけでレンガ製のトーチ

が分かる程度で、壕の深さや様子も分からずじまいで退散しました。今回は放映のためもあったのでしょう灌木も雑草も刈り取られ、前

回分からなかった砲側庫や壕の幅・深さ・長さ等概要もよく映っていました。これは再訪せねばなるまい!と言うことで、午前中に通院を

済ませその足で現地に向かいました。

西芳寺の方に入山の了解を求め落ち葉に足を取られなが

ら15分ほど登ると、見なれた景色が・・、模擬堡塁に到着です。

トーチカ周辺、トーチカ前庭の壕も刈り込まれていて当時

の様子がよく分かります。前回訪れたときとは全く別のよう

な光景で、当時の様子がよく分かります。また、前回場所

の分からなかった、砲側庫(説明板の画像に写っている)も

壕斜面の草木を刈りこんでくれたおかげで、はっきりと分

かります。

砲側庫の位置がわかったことにより説明板のと写真と同じ

場所と推定される地点から現在の状態を写すこともできました。
地方テレビ番組とは言え、メディアの与える影響の大きさ

に今更ながら驚くと共に、草刈りをされた方々のご苦労に

頭が下がります。

(荒れるがままの後部壕と崩れた石垣)

(当時と現在の定点画像 推定)

NHKテレビの放映によると、慰霊の趣旨を牛窪求を中心として

県議会に請願し、明治38年に了承され5月着工され、陸軍のみ

ならず一般住民の奉仕で築城され始めました。ところが大正に

入り軍縮の機運が高まり作業は中止となり未完成となったそうです。

(刈り込まれて整備されたトーチカ・壕底)

伐採されていたおかげで、砲側庫等の新たな発見ができ、また壕の規

模の大きさに驚かされました。テレビ放映の効果も大きいようで訪れる

人も増えているようです。慰霊碑としての模擬堡塁は日本でここだけだ

と思います。なんとか行政等の支援があればと思います。