令和元年7月25日、猛暑の午後に田向山砲台に行ってきました。
田向山砲台は、公園化され手向山公園として地図に載っていますので探すことは簡単です。
ここは、日本築城史によると田の首砲台に続いて下関要塞第2番目に着工され、明治22年(1889)に竣工したようです。
備砲(明治24年完了)は、24糎臼砲12門からなっており、2門1砲座で4砲座と2砲座が一直線に配置される折線砲列になっており、いずれも下関海峡の大瀬戸方面を射撃するようになっていました。
砲座も砲側庫も公園化のため整地、埋め戻しや閉塞のためほとんど原型を留めていません。
観測所は砲座の両側にあったようですが、右翼観測所は滑り台の遊具が設置され原型を留めていません。
左翼観測所は、左翼砲座より約100m離れて現存していますが、地下の指令所はブロックで閉鎖され立ち入ることはできません。
階段上部の観測所には応式測遠機が備わっていたようで、設置用石柱の1本が残っていました。
電燈座は左翼観測所から北西約100m、標高50mの海岸が見渡せる地点に設置されました。現在では周回道路端にあり、市の案内板があるので容易に見つけることができました。
発電所は砲台敷地南部、現在は公園入口の駐車場兼バス転回場にあり、壊れかけながらも現存するとともに、市の案内板が設置されていました。この案内板の内容には誤記があり注意が必要です。
(佐山二郎著 続要塞砲より)
備砲は24糎臼砲となっていますが、24糎臼砲は左図のような後座装置の付いた24糎綫臼砲だったと推定されます。
要塞砲として有名な28糎榴弾砲と酷似していますが、一回り小振りにできています。兵士の身長と砲耳部が同じ高さです。
28糎榴弾砲と同様に、グリロー少佐の答申により、イタリア式臼砲を参考に設計されたので、28糎榴弾砲と酷似している訳です。
大正5年に全部外国へ売却されたため、制式を外されたとのことです。
(浄法寺朝美著 日本築城史より加工して転載)
田向山砲台