砲台背後にある発電所から海峡に向けて遺構を辿っていくことにします。

測遠機台座の変遷、応式→武式

発電所

左翼観測所は、発電所から北側約100mに位置しています。一階が指令室、階段を上った二階が観測所の形態です。

同様の形態は、早瀬第一・第二砲台共用観測所や火の山第四砲台観測所などがあります。

指揮所の入り口や窓は閉塞されていて立ち入ることができません。階段を上った観測所は、他の明治期要塞の観測所の作りと同様です。
応式測距機が座っていたため、3本の支柱が立っていたはずですが、2本は破壊されて跡形もありません。1本だけが残っていました。
また、鉄製の天蓋を備えていたのでしょう、取付ボルトが残っていました。

応式測距機は、比較的早期に築城された要塞に用いられていたようです。他には舞鶴匂崎演習砲台補助観測所、鷹ノ巣砲台(高低とも)等があります。

測距距離が武式測距機より短いため、明治期後期の観測所には武式測距機が設置されています。

過渡期に当たるのか、鷹ノ巣高砲台やその近くにある地区砲兵指令所には、応式・武式両方の基礎を見ることができます。

観測所の左翼には砲台長位置(指揮所)が残っていました。

舞鶴要塞 匂崎演習砲台補助観測所

広島湾要塞 三高砲台

広島湾要塞 鷹ノ巣高砲台観測所

左翼観測所

発電所の形態は、他の明治期の要塞のものとほとんど同じです。
昔は、荒れるに任せていたようですが、フェンスを張り説明板を設置したようです。

惜しむらくは説明文の中に、明らかな誤記がありました。
文末の方に、「同時期に建設されたものが愛媛県今治市の白島に復元されている。」

正しくは、白島ではなく「小島(おしま)」です。ちなみに、小島には28糎榴弾砲のレプリカが設置されています(某国営放送、坂の上の雲で使用された)。

(右翼観測所と指令室)

(説明板 ただし誤記がある)

(観測所左翼に残る砲台長位置)

(火力発電所跡)