吉阪付属堡塁

3月28、29日、転勤が決まり、泊付きの探検ごっこは、これからなかなかできなくなると思い、天候が心配でしたが舞鶴要塞のうち吉阪堡塁・付属堡塁、槇山砲台、レンガ博物館、海自基地等をのぞいて来ました。

今は廃止となったダイヤモンドフェリー今治寄航便で28日早朝に神戸着。ここから高速を利用して東舞鶴まで走るつもりが、阪神高速に乗ったまでは良かったのですがGPSに頼りすぎたのが運の付き、吹田ジャンクションで近畿自動車道へと違う方向へ。大きく一回りして宝塚の渋滞を抜け舞鶴若狭自動車道へ。時間を1時間は余計に食いました。ジャンクションでのGPS過信は失敗の元と肝に銘じる椿事でした。

西紀SAで朝食を済ませ東舞鶴から吉阪堡塁まではGPS様々で、間違うこともなく登山口の杉森神社に到着。ここには有名な御葉付銀杏があるそうですが気がつきませんでした。

(フェリーから高速道を通って杉森神社へ)

杉森神社の右手から登山道が続きます。途中までは整備されており迷う心配はないと思います。小さな祠を超えますと軍道まであと少しです。

軍道に出てからは、まず付属堡塁へ向かうため右へと進路を取ります。軍道は老けていますが道の様相は残していますので注意して歩けば大丈夫です。

杉森神社から約20分で付属堡塁の門柱に出ます。門柱の近辺には建物の基礎が残っており、先へ進むと一連のぺトンとレンガの地下砲側庫に出ます。浄化設備があったようです。

砲側庫から進むと克式35口径12糎カノン砲2門が据え付けられていたようです。堡塁の周りを敵兵掃射用の射垜(交通壕)が巡らされています。胸墻からは敵の上陸想定地点の高浜湾が木々の間から見えます。

本堡塁の12糎カノンより性能が良かったようですので、基筒式の速射砲、もしくは砲身後座式だったと想像します。

付属堡塁を後にして軍道を本堡塁に向かって進みます。軍道は老けてはいますが、一部植林をしているため道筋が変わっている箇所と、竹の群生が根こそぎ倒れて道が判明しにくい点がある以外は、注意して進めば約30分ほどで本堡塁手前の井戸を含めた構築物の遺構に出ます。

(杉森神社から付属堡塁へ)

(付属堡塁から軍道を通って本堡塁へ)