地下兵舎から大きく半円形に堡塁敷地を大回りします。木々と雑草の合間に石垣や破壊されたレンガが散見されますが、果たして何

があったのかは近寄れないので分かりません。草木がなければかなりの敷地だったと思います。堡塁を大きく回り込む際に、ともすれ

ば繁茂した木々で迷子になるのではないかと心配しましたが、先述の通り、地元の方が要所要所の木々に赤テープを巻いて目印にし

て下さっていたので安心して先へ進めました。ほぼ地下兵舎と山を挟んだ反対側に地下機関銃陣地の入口が、ちょうど鉄道トンネル

のように開口していました。ここも石積みとぺトンアルメ(コンクリート)で構築されていました。内部は大きく破壊された跡もなく、地元の

方によると思われる片付けがされていました。機関銃陣地は各々2門ずつ山の両側を向く形で設置されていました。銃眼は射界を広く

取るために大きめに取られています。よじ登ってくる敵兵に間断なく銃弾を浴びせるのであれば、銃眼が余裕を持って開いていても不

思議はないと思います。地下室内部の天井には地震の影響と思われる亀裂が入っており、大きな地震の度に地盤が動いている気配

を感じさせます。いずれそう遠くない時期に崩壊の危険が増し立入禁止になってしまうのではないかと心配します。残念ですが遺構の

物がモノですので積極的な補修もままならないことだと思います。地下内部の天井はぺトンのアーチを漆喰で白く塗られていますが、

良く見るとぺトンを流し込んだ時の型枠の形が判明します。芸予要塞の小島砲台の兵舎のぺトンアーチは均一の曲線を描いている

のと比較して、随分乱雑な作りだと思ってしまいました。草木の繁茂や地形の変化で当時の状態は分かりかねますが、銃眼の外部は

幾ばくかの平場があり、その先は斜面となっていましたので、敵兵が急斜面を登ってきて平場にたどり着いた途端、銃を構える暇もな

く機関銃の餌食になったのではないかと想像しています。いずれにしても地下機関銃陣地を備えた堡塁はこの前岳堡塁しか見たこと

がなく、要塞の形態を知る上でも貴重な存在だと思います。

(外から見た穹窖銃座)

佐世保到着後、家族と別れてのわずか2時間強の時間でしたが楽しい時間となりまし

た。地元の方の目印テープがとても役に立ちました。つい最近下草刈りもされていて随

分歩きやすかったです。地元の方に感謝。

佐世保要塞 石原岳堡塁へ行く

(穹窖銃座内部)