補助観測所探索と三高砲台再訪

H28.11.03に、三高砲台補助観測所を探しに行きました。

日本築城史の記述に、補助観測所が存在したことが一行で簡潔に書かれていました。

さる研究家が書かれた補助観測所の記事を見つけ、大体の場所の見当をつけて行ってみました。

右側の画像は順に、
沖美町美濃側から、林道(一部軍道跡利用)を三高砲台に向けて登っていく途中に、藪に覆われてはっきりと分からない分岐点(目印はカーブミラーと造成中の広場)があります。

藪がひどいので、造成地側から迂回して抜けると、木立が生えた尾根伝いの軍道を100m程ダラダラと進みます。

観測所、観測所の傍には、建物があったようですが完全に破壊し尽くされていて、レンガ片等が大量に散乱していました。僅かに測遠機の支柱と観測所天蓋部分のコンクリ基礎が残っているだけでした。

補助観測所を後にして、三高砲台まで行きました。これで通算3回目になります。

前回同様、「荒れ砲台」だろうと、諦めモードで行ったのですが、良い意味で裏切られました!!。

壊れた場所の補修はもちろん、草刈等の整備も十分にされた上に、当日も委託を受けた方々による草刈の真っ最中でした。

簡単な説明版も遺構に設置されていたのも好ましかったです。

今回は、南部砲台も概要が掴みやすく、臼砲等が設置された平場もよくわかりました。

右画像は、駐車場から裏手の通路を回って掩蔽庫へ。一部の庫は貯水槽が造られていました。形態は各要塞とも同様のようで、舞鶴要塞吉阪付属堡塁も同様の遺構が露出していました。

その先へ進むと、前回と兵舎跡が佇んでいましたが、下草狩りが行われていたので、ずいぶん洗練された雰囲気がしました。