再探索で判明した事柄については、赤字で記入しています。
観測所から外部に出で正面に回り込むと、観測所の前景が現れます。
明治期の観測所や弾薬庫とは趣が違っており、薄暗い場所の雰囲気も手伝って、ちょっと畏怖感を覚えました。
一番下部には地下壕もありましたが、外から画像に収めるにとどめました。(この地下壕状の施設が穹窖砲台に関係してきます。)
すぐ横には半壊した指揮所のサークルもありました。
(観測所前景を外部から眺める)
観測所上部は、現在は下部観測所とはつながっておらず、
外に出てから入りなおすことになります。
この観測所には「八八式海岸射撃具」という要塞用射撃装置が設置されていたようです。
上部観測所の床部分がなくなっている部分に鉄製の床を張っていたと推定されます。戦後の金辺景気の際に剥がされたものと推測します。
(八八式海岸射撃具が設置されていたと思われる二階)
この砲台は、沿岸航行船舶援護を目的として、昭和12年(1937)年着工、同13年に竣工し、96式15糎カノン砲2門を露天で据え付けたとのこと。
付近には発電所等付属施設も構築した。
もう1門の砲座等は現在の大バエ灯台付近にあったらしいが、灯台の基礎部分に改築された移動式電燈格納庫以外、残念ながらほとんど痕跡をとどめていないようです。
後に判明したことだが、大バエ付近にあったのは、海軍が設置した14pカノン砲2門の穹窖砲台で、1門は現存しており、中に入ることができる。
(学研 日本の要塞130pより転載)