(カノン砲中心軸の推定基礎部分跡)
生月島砲台の備砲
九六式十五糎加農砲
再探索で判明した事柄は赤字で記入しています。
また、この砲台は筑前大島砲台と同様に露天砲台だったようで、観測所から約50m程前進した場所に井戸状の遺構があった。推測するにこの遺構はカノン砲の中心軸受と、形状から思われる。周りを見渡してみると草木の繁茂こそあるが、全面に渡って平場が形成されている点も円周砲床跡と一致すると思われる。
この穴は、固定砲床の旋回部分ではなく、電探等の施設のようである。本来の固定砲床は再探索の折に別の場所で発見した。
周りには埋もれかけた交通壕が迂回し、石塁が散見された。方位磁石をバイクに忘れ、睡眠不足も手伝って迷子になりかけたが、交通壕跡を辿ると観測所に到達した。ヤレヤレ・・
このカノン砲は、欧米列強の同口径のカノン砲の射程が、25Kmを超えるものが出現したことを受け、昭和11年に竣工した。
それまでの基筒式カノン砲と違い、分解移動式とすることで、フィリピン(バターン・コレヒドール)攻略戦にも参加した。
設置・組立には約5時間を要したようである。移動には専用の索引車を使用し3台に分けて運搬したとのことである。
要塞用固定砲台としても設置され、生月島砲台以外に、津軽要塞汐首岬第二砲台等にも設置されたようである。
次に、もう一か所の砲座跡、大バエ灯台へ行くことにしましょう。
これは資料から、海軍造営の14糎カノン穹窖砲座であることが判明した。
(佐山二郎共著「日本の大砲」より転載)
この図は移動砲床であり、生月砲台では固定砲床であった