本土決戦前後の生月砲台

陸軍の生月砲台は露天砲台として竣工した訳ですが、「戦史叢書、本土決戦準備(2)」によると、本土決戦が避けられない状態になると、穹窖砲台に変更されたようです。(昭和20年初頭)

平成27年12月末に生月砲台再訪しました。前回の探検ごっこでは、迷子になりかけたことがあったので「させぼばってん」の主宰者T氏に案内をお願いしました。

前回は、案内板の道順に藪漕ぎをしながら辿り着いたのですが、今回は「まきの茶屋」前の道(軍道)をだらだら登るとすぐに配水池の施設がありました。その横には発電所(旧)の基礎部分が残っていました。

そのまま登るとすぐに案内板のある丁字路(ここが穹窖砲座への目印となります。)、左折すると軍道右手に発電所跡(新)があり、すぐその先に前回見た観測所が見て取れました。

(終戦後の航空写真 S,K氏よりご教示いただく)
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(旧発電所跡に建つ配水池と、その横に残る基礎跡)
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軍道から竣工時観測所に歩を進めると、増設した地下室のような仮設観測所が確認できる。

観測所に近づいていくと、正面下部に倉庫のような開口部があります。前回の時には気が付きませんでしたが、開口部から中に入ってみて、この部分が本土決戦時の96式カノン砲が穹窖砲台に移設されてからの仮設観測所だと強く推測できました。

仮設観測所の内部には、計測や連絡用の副室を備えており、天井上部には竣工時の観測所と同様に、測距用の潜望鏡の穴が開口(木で塞がれている)していました。

また、後面には増設時に無理して接合したコンクリの状態が見て取れます。竣工時観測所の周りを囲んでいた擁壁が、仮設観測所の展望確保のために無秩序に、指揮所と共に破壊されているのが分かります。

(観測所近く軍道横に残る穹窖砲台時の発電所基礎)
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