九州は宗像沖に浮かぶ筑前大島、風光明媚な島に砲台跡があるので探検ごっこに行きました。(H26.04.27)

この砲台は、昭和11年に竣工し、島の北岸、標高約120mの場所に、45式15糎カノン砲4門、弾薬庫や観測所等の諸施設も併せて構築されたようです。

主に玄界灘・響灘方面の敵艦船(浮上潜水艦)を射撃するためだったようです。

ですので、砲台は観測所兼弾薬庫を挟む形で、露天砲台として構築されていました。

本土決戦が近づく中で、4門のうち2門は内地防衛のため転出し、残りの2門は北西部の崖に穹窖砲台として移設・竣工したとのことです。

築城史によると
「99式電気式観測所は、砲台背後の独立標高132mの地下に構築した。」と書かれてあり、まさしくその場所を探索したのですが、残念ながらそれらしい遺構はおろか、残骸・破片さえも見つけることができませんでした。

現状は、砲座群の中心に観測所兼弾薬庫がありますので、築城史の記載は誤記の可能性があるようです。

(地下式観測所兼弾薬庫)

地下式弾薬庫兼観測所の造りは、二階構造で、生月島砲台の観測所兼弾薬庫と類似している部分が多くありますが、射撃具に違いがみられます。

竣工時期が近いことや、砲台の性格(敵浮上潜水艦等からの沿岸航行船舶援護)が同じからなのかもしれません。


弾薬庫は分厚い鉄扉で幾重にも覆われていたようですが、ここも金辺景気の際に無理やり引きはがされたようです。(道を挟んだ反対側にも砲座と弾薬庫があります。)

観測所に設置された測遠機(射撃具)は生月島のとは明らかに違うようです。(砲の種類や性能が違うためかもしれません。)

生月島砲台の観測所ヘ行く

大島砲台

浄法寺朝美著(日本築城史180pより転載)